ケンジの借金詳細

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ケンジの借金詳細

ここで、僕の借金状況がどんなのだったかお話をしたいと思います。

僕は22歳のときに洗浄機製造工場に入社しました。
僕自身が言うのもなんですが、勤めた16年間は、妻の出産や、親戚や知人の冠婚葬祭以外に欠勤をしたこともなく、もちろん、遅刻なんてしたこともありませんでした。

しかし、16年後、一生懸命尽くした会社にも見切られ、リストラされてしまったのです。

それまでは、仕事も順調で、あと数年頑張れば「工場長」になれると言われており、生活にも若干の余裕がありました

私と妻の両親も健康で、子供たちも独立し、毎日が充実していたほどです。
妻とは、定年後の話さえもしていたくらいでした(笑)

しかし、それが突然、会社の経営不振を理由に、会社をリストラされてしまったのでした。

目の前が真っ白になる・・・という経験を始めて味わいましたね。

家族に心配をかけたくなかったので、一時期は公園族にもなりましたが、そんな生活をずっと続けるわけにもいかず、数日後家族には正直にリストラの事実を話しました。

リストラされたのは38歳のとき
世間では働き盛りだと言われる年ではありますが、世間というのは冷たく、38歳のおじさんを雇ってくれるところはなかなか見つかりません

毎日面接に行くも、なかなか就職できずに、無職の日々が続きました

若干の貯金があったため、しばらくは妻のパートの収入も合わせ、ギリギリではありますが、何とか生活をしていけることはできたのです。
しかし、それも長くは続かず、高齢の親からもお金を借りることはできず、ついに貯金も底をつき、初めて「消費者金融」というところから20万円を借りることにしました。

「警備員」という仕事に再就職するまでには、実に半年以上月日がかかり、それまでの間に、消費者金融6社からのお金を借り、結果として200万円の借金ができてしまいました。

僕は、就職したことで安心していました。

節約さえしていれば、借金は返していけると思っていたのです。

しかし、給料は月に手取りで16万円くらいしかなく、そのうち返済に廻さなければいけない額が12~13万円

給料日になっても返済であっという間にお金がなくなってしまい、生活をしていくために、再び消費者金融から借り入れをする・・・という自転車操業に陥ってしまったのでした。

自分の娯楽にお金を使ったわけではありませんが、結果としてすごい勢いで借金の額が膨らんでいき、気が付いたときには、総額約500万円になってしまっており、毎月の返済額は20万円前後にもなっていました。

1日中返済の催告の電話が鳴り止まない状態が続き、仕事中も借金のことばかりが頭にあり、仕事にもなりません。

そんな毎日の中で、円満だった家族仲さえも悪くなり、僕は毎日のように「死にたい」という思いばかりを抱いくようになりました。

しかし、ある日、仕事仲間から「債務整理」という方法があるということを聞いたのでした。

僕はすぐにタウンページを開き、弁護士事務所に電話をし、相談に行きました。

そこで弁護士さんに、すでに返済不可能な状況に陥っているため、『自己破産』して、人生をやり直してみませんか?」と言われたのです。

僕は神にもすがる思いでしたので、即座に「自己破産」をすることを弁護士さんに依頼することにしました。

弁護士さんに依頼して、数日後から突然、催告の電話が一切なくなったのです。

これが弁護士さんが言っていた「受任通知」の効果なんだな~・・・と改めて驚かされました。

受任通知の効力もあり、取立てや返済に追われることがなくなったため、平穏な生活を取り戻すことができました。

その後は、自己破産に必要な書類を用意したり、陳述書と呼ばれるこれまでの経緯を記した書類を書いたりと大変でしたが、約半年ほどで自己破産の手続きが終了

全ての財産がなくなると覚悟していた僕ですが、長年愛用している車を手放すことがなかったことが本当にありがたかったです。

「自己破産」の手続きが終了後、おかげさまで500万以上あった借金もなくなり、新たなスタートをきることができました。

・・・が、今でも当時のことを思い出すと吐き気が止まりません。

これから同じ失敗を繰り返すことのないよう、家族と一緒に頑張っていこうと明るい毎日を過ごしています。

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